「世界一周」編 vol.1

WHO承認活動「運動器の10年」の親善大使として、南米を走る。

この記事は、2012年11月以前のY'S GEAR CLUBの記事です。

WHO承認活動「運動器の10年」の
親善大使として、南米を走る。

PASによる日本縦断を終えた僕は、この5月から今度はマジェスティにのって南米最南端の町ウスワイアを出発して南米大陸を縦断。途中、キューバに立ち寄り、北米大陸を縦断して北極海を経由、スカンジナビア半島のスウェーデンに至る20,000kmの旅を現在進行中です。

旅の目的は「Bone and Joint Decade Global Movement」=運動器の10年・世界運動というWHO関連のキャンペーンなのですが、この活動の主旨が2004年にパリ・ダカで怪我を負ってしまった僕にはぴったりの内容だったので、この活動のための国際親善大使となって一役を買って出た、という訳なのです。具体的な内容は「動く喜び、動ける幸せ」――をスローガンに、怪我などの治療レベルの向上と、運動機能(骨、じん帯、筋肉、関節など)をもっと大切に考えましょう!と言う健康社会の実現と健康ライフの提案です。

(左)スタートとなった南米最南端の町ウスワイア。(右)いきなり高原が割れて大渓谷となっていた。タマルガル国立公園。

そんな内容を明記したフライヤーとBJDのピンバッジを片手に、マジェスティと共に毎日500km前後を走り続けながら、今現在、エクアドルの首都Quito(キト・200万人)にまで到達しました。ここまでの間は、南米大陸を南北に6,000kmの長さで走るアンデスの山脈の名峰、または高原の大地に感動しながら、正にマイナス12℃の極寒の地からプラス33℃の夏に至る四季と、四カ国を医療機関を巡りながら合計10,070kmに及ぶ長い長い道程でした。

(左)寒い寒い朝、太陽が出ると救われる気分だ。(右)美しいところ程、恐ろしい。寒い上にたまに路面がアイスバーン。

マシンはユーラシアで使用したマジェスティ

さて、その長旅に使用したマジェスティは、僕が三年前にユーラシアの横断18,000kmに使用した2007年型(現行と同じ)の愛着のあるマジェスティ(YP250)です。再度この同じマシンを選んだ理由は、三年前の長旅において、それまでのスクーターに抱いていた(鈍臭い)概念を覆す程の走りっぷりと、様々な走安性、具体的には接地性や防風性、安全性や座り心地など、目を見張るほどの評価を持ったこと。それに、18,000kmまったくのトラブル無し。タイヤを二度替えただけで走りきった実績を買ったからです。そんな訳で今回もマシンにまったくの不安無し。

(左)チリのアリカの町に通じる太平洋岸の道。(右)ガソリンは満タンで330km走る。ほぼ全開

南米最南端フェゴ~エクアドルまで。過酷な10,070km。

とは言うものの、前回のシベリア同様、今回もなかなかの過酷な旅でした。最初の南米最南端フェゴ島ウスワイアの町(南緯54°48’、西経68°18’)を出発してから暫く、真冬のような寒気の中を、パリパリのアイスバーンの走行(地獄を走る気分でした)を余儀なくされ、また、地平線の彼方まで続く荒涼とした原野の400kmも続くダートを走り抜かなければならなかったり、少々、甘く見ていた自分に後悔する場面も多々ありました。が、言うに及ばず、その景色の雄大さと迫力と、圧倒されんばかりの美しさに、毎日言葉を失う程の幸せ(絶頂感)も、沢山体験出来ました。
アンデスの南のパタゴニア地方特有の鋸の歯のようにそそり立って、遠くに、朝の陽射しを浴びてピンク色に浮かび上がっていた山々。そして、褐色の大地(プラトー)が突然と割れ、地表の広大な谷間となった高原。または、5,000m級の山肌を縫うようにして走り、はたまた天にも昇るように真っすぐと空に伸びていたインカの道。謎の地上絵…。南米大陸の魅力はアンデスの魅力だったような気がする。

南米以降も引き続き、キューバ、北米大陸を経てスウェーデンまで旅はまだまだ続きます。

天まで続く道。

プロフィール 数々の冒険の傍ら、バイクツーリングクラブ「MAC」のリーダーや、椎名誠氏率いる「いやはや隊」メンバーとして、さらにフィッシングクラブ「FAC」の会長、全国各地での講演や「地球元気村」の開催など、多方面で活動。2008年 WHO承認活動「運動器の10年」世界運動国際親善大使に就任。
*NPO法人「地球元気村」代表
http://www.chikyu-genkimura.com/