北米大陸最大のOFF ROAD RACE「BAJA1000」に親子参戦

北米大陸最大と言われる2輪・4輪混成デザートレース「BAJA1000マイルレース」に、親子で出場。想像を絶するハードコースに悪戦苦闘!

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KAZAMA SHINJI COLUMN 「地球に遊ぶ」

Vol.56

北米大陸最大のOFF ROAD RACE 「BAJA1000」 に親子参戦

CATEGORY:地球に遊ぶ

今年で48回目を迎える北米大陸最大と言われる2輪・4輪混成デザートレース「BAJA1000マイルレース」(メキシコ、11月19~21日)に、親子で出場した。

狙いは、再来年2017年に息子が出場を予定している「第39回Dakar Rally」に向けての経験値とトレーニングを兼ねた参戦。マシンは2015・WR450F・BAJA専用モディファイ車。その特徴は、ボトムやハンドル回りなどの強化ガード類に加え、夜間走行用のための強力灯火ライト類など、通称BAJAスタイルと呼ばれるもの。

▲WR450F(2015年・YMUS提供)が今回の僕たちの出場マシン。多くのスポンサーに支えられての遠征です。
▲親子、二人三脚のBAJA出場は、現地では沢山のエールを送られた。

コースとなるのは、北米大陸西海岸に位置する「バハ・カリフォルニア半島」の砂の大地とサボテンの荒野が舞台。レースは1967年の「NORRAメキシカン1000レース」という名称から始まり、当時から完走率は50%前後という過酷なもの。日本人では僕が1983年にヤマハTT600に乗って初出場(9位完走)を飾り、以後、知名度の向上と共に90年代は日本の出場者だけでもなんと30組・100人を越えたこともあった。が、今年は僕たちの一台だけ。(コースが四輪バギー、トロフィートラック中心のハードなものとなり、二輪には少々辛すぎるのかも知れない?)

▲BAJAのコースは一度マシンが通過すると、もうもうと凄い土埃が立ちこめる。

参加の仕組みは、一台のマシンを数人で交代(通常2~3人だが、スペアライダーは何人でも登録可能)する方法と、ソロ(1人)のクラスがある。昔、僕が初参加した当時「ソロ」などのクラスは無く、1人で走るのが当然のことと思っていた僕は、ゴール後、皆から「お前はアイアンマンだよ!」と言われてキョトン?後で何のことか聞くと、他は2~3人が一組となって走っていることが判って、もうビックリ仰天!の思い出がある。

ともあれ、レース当日である。およそ20万人が訪れると言われるメキシコ・エンセナーダの街中は全面が道路封鎖され、レース関係者や観衆、入り乱れての興奮と騒音の中で、スタートを前に緊張と不安で胸の高鳴りの収まらない様子の我ら親子二人であったが、午前8時35分、「Shinnnosuke Kazama from Japan!」の紹介とともにお立ち台から息子はスタートを切って行ったのでしたが、その後の模様は息子(風間晋之介・30歳・国際A級MXライダー・現俳優)のレポートから…。

初のデザートレース「BAJA1000」を経験して、改めてオフロードと、自然と、そして世界の素晴らしさを再確認しました。スタート地点・エンセナーダの市街地を抜けるとそこには無限と言えるほどのオフロードのフィールドが広がっていた。ガレ場や、雨が流れた跡の深い溝、玉砂利、フープスと呼ばれる果てしなく続く大地のうねりの連続、深く腰下まで埋まってしまいそうなパウダー状のサンド。そんなタフなフィールドの中に癒しのような「大自然」の存在感である。

丘を駆け上がると目の前に広がる大海原。陸は地平線まで続く荒野と山。背丈を遥かに越える高さのサボテンの森。夜空には天の川がはっきりと見える満天の星。太陽の位置や遠くの山々の位置を頼りに方角を見出したり、BAJAは、まさにサバイバルと言う名に相応しいデザートレースでした。

▲サボテンの林立するコースを走る頃は夕闇が迫って来た。

レース中GPSを失い、夜明けのコースでミスコース。迷走し、彷徨い戻った場所が1時間以上も前に通ったはずの(地平線まで続く?)フープスの途中だった時には、さすがに参ってしまった。そんな時、どこからともなくコース脇に入ってキャンプを張り、酒のつまみに夜通しレースを楽しんでいる若者たちの声援は、疲れ果てたライダーには力になった。また、ガス欠の心配からコース脇にいた四輪チームにガソリンと水をもらい、次のポイントまでの荒れ地をアクセルを開けて走った時のこと…

"Stay strong brother"
"We hope you will make it to goal"

四輪チームのクルー達が言ってくれた言葉だ。同じゴールを目指す共通の目的を持った仲間たちは競い合う「敵」ではなく、みんな仲間なんだと、とてつもない熱い友情と力をもらった言葉だった。

西の太平洋から内側のメキシコ湾へ、そしてまた山を越え、太平洋を見ながらエンセナーダの街へ。ゴール地点は多くの人間のエネルギーに満ち溢れ、戦いを終えた人々とそれを讃える人々の笑顔でいっぱいだった。結果は30時間と47分35秒、スポーツマンクラス5位完走。

今回のBAJA参戦にあたり、多くのスポンサーシップに心から感謝いたします。

風間晋之介

▲息子にはまだまだ負けねぇ~。今回は親父として走った僕でした。
▲親父、無念にもふかふかのシルト路面で転倒する。
▲走っても走ってもシャンとしていた息子・晋之介に対して、僕の方はかなりのくたびれ様だった。
▲多くのミスコースに悩まされながら、タイムは30時間47分35秒で結果はクラス5位で完走。

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